海沿いのビル群を圧倒しつつ、びっくりするような巨船が急ぎ早に過ぎ去り、逆の方向から近づいてくる貨物船からは、エンジン全開の喘ぎ様がここまで伝わってきます。
かつて春帆楼から引接寺へ真っ直ぐ抜けた高台の李鴻章道。ルビでもふらなければ読めそうにないこの小さな通りの名は、日本人が丁髷を落として僅か二十年余年、日清両国の不幸な戦争を終結させるためにはるばる清国から来日した全権大使、李鴻章に由来します。
下関条約第三回目の交渉を春帆楼で終えて宿舎の引接寺に帰る途中、心無い暴漢により負傷した李全権は、傷が癒えて再開された講和会議では、幹線を避けてこの崖上の小径を毎日往復しました。
明治28年4月18日、伊藤博文、睦奥宗光らと条約に調印した彼は、「下関の人々の見舞いに感謝する」との新聞広告を残して帰国したが、その後、誰が言い始めたものか、海の見えるこの道筋を「李鴻章道」と呼ぶようになりました。
言ってみればこの呼称は、全権大使が見せてくれた大陸的な心の広さと温かい計らいに対する下関人のささやなかお返しで、その小径が百年を経た今もなお、日中友好の証として息づいております。
シルクロードの海の接点、それがこの地だと言ったら、大抵の人が信じ難い表情をします。しかし今から1800年も昔、中国秦の始皇帝の子孫・功満王が日本への帰化を求めて、豊浦宮(下関市長府にあった皇居)の仲哀天皇に献上した多くの貢物の中に蚕種(カイコの卵)が含まれていたといいます。
海の道といえば、神功皇居の熊襲征伐はこの沖を船出して、やがてこの沖に凱旋、キリスト教伝道のザビエルはインドからマラッカを経て日本を訪れましたが、本州への第一歩は功満王と同じく春帆楼に近い堂崎の浜だったと伝えられております。
また源氏に京を追われた平家一門はこの瀬戸で行く手をはばまれて壇之浦の海づらを真っ赤に染め、その近くの船宿を発った武蔵は舟島(巌流島)に斃した小次郎を振り返りもせず、一直線に同じ宿に帰りました。
春帆楼のすぐ下に広大な旧邸の一部を残す伊藤家本陣跡。「西の在甲、東の伊藤」と呼ばれた下関きっての名門で、海を渡って来たオランダ商館の一行と共にシーボルトも立ち寄り、北浦巡視の吉田松陰足をとどめております。海援隊の坂本龍馬は伊藤家の一室を借り受け、自然堂と名付けて愛妻・お龍と束の間の時を過ごしました。
国道9号線を西へ行くと亀山八幡宮大鳥居のそばに「山陽道」の大きな石柱が建っております。「起点」だと説明板にはありますが、お江戸日本橋を東海道の出発点だとすれば、ここは山陽道の終点ということになります。かつては、ここから九州に渡って西海道へと続いたので、関門トンネルができるまではこの路も国道2号線と呼ばれていました。
菅原道真や足利尊氏が傷心を抱いて通り過ぎた道、高杉晋作が回天義挙の兵を引きつれて新地会所へと疾駆した路、祭り好きの馬関っ子らがボンチ可愛いやと「八丁浜」に浮かれて踊り疲れた道、金子がみすゞが詩への思いを抱いて歩いた道、都会の顔をひけらかしながら轟音立てた長関線の電車道、そして、春帆楼に昭和天皇・天皇両陛下がお泊りになったあの夜は、提灯の波が国道いっぱいに朝まで揺れつづけました。
ところで、海をはさんだ門司と下関には、昔から「おおひと」と呼ばれる巨人伝説があります。
天をつくような大男がひとまたぎに海峡を渡ったという他愛ない話ですが、その足跡や行動がすべて地名となって現存するから面白いですね。本州と九州の間を流れる急潮を自分の足で越えたい願望が見え隠れするこの話は、関門橋となって実現しました。
レトロ建築物が立ち並ぶ唐戸の旧英国領事館、旧秋田商会ビル、下関南町郵便局から人気の水族館、藤原義江ゆかりの紅葉館、安徳天皇陵や平家七盛塚を境内に抱く赤間神宮、そして壇ノ浦に御裳川―春帆楼を中心としたほんの狭い地域だけに絞っても、これほどの見どころがあるから、静かな時過ごしたくなると、ついこのあたりに足が向いてしまうのです。
一般の人や観光客も買い物できる全国でも珍しい卸売市場。昭和8年(1933)の開設以来、市民の台所として親しまれてきました。現在地に移転・オープンしたのは平成13年(2001)4月。週末の金・土・日曜日と祝日には、新鮮な魚介類や寿司などが格安で販売される飲食イベント「活きいき馬関街」が開催され、多くの人で賑わいます。
全国の天然ふぐの約7割が水揚げされる、ふぐ専門の卸売り市場。「エーカ!エーカ!エカ!」のかけ声とともに、競り人と仲介人が長い袋の中に手を突っ込み、指先で値を決める「袋競り」は、この市場の名物。周辺には水産加工団地が併設されており、競り落とされたふぐはスピーディーに加工処理され、全国に出荷されていきます。
関門海峡を望む下関はふぐをはじめとしたグルメはもちろん、歴史の宝庫。夏の海水浴や1000万ドルの夜景など1日では味わいつくせません。ご夫婦で、ファミリーで、お友達同士で下関を効率よく回れるルートをご紹介。
長年連れ添われたご夫婦で、おだやかな下関をのんびりと散策してみませんか?歴史と文化に触れる素敵な旅をご計画ください。
日本最大級のペンギン施設、世界各国の100種類以上のふぐやイルカとアシカのショーが人気です。
下関ならではのグルメスポットで新鮮な海の幸を味わいます。
ゆっくり歩きながら2人の時間をお楽しみください。
チェックインを済ませ、お部屋へ。落ち着いたお部屋で、おくつろぎいただけます。
お食事までの間、敷地内にある日清講和記念館や隣の赤間神宮を散策してから、浴衣に着替えてゆっくりとお風呂にお入りください。
関門海峡を眺めながらの「ふぐコース」は格別です。
春帆楼本店ならではの和膳と湯豆腐で一日の活力をつけます。
壇ノ浦古戦場を目前に望む公園内には、源義経・平知盛両雄の像が立ち並び、幕末の長州砲もご覧いただけます。
世界的にも珍しい歩行者用の海底トンネルで歩いて九州へ。前長780mの中央付近には山口県と福岡県の県境があります。
門司港レトロエリアには、明治から大正にかけて作られた建物が今でも残っています。
B級グルメの「焼カレー」や瓦そば老舗の名物「瓦そば」をお楽しみください。お食事後は引き続き、周辺散策・ショッピングをお楽しみください。
帰路(北九州空港、小倉駅へ)
大人数のご家族で、下関の魅力をたっぷりと満喫いただけるルートをご紹介します。家族みんなで思いっきり楽しみましょう!
元気いっぱい、レンタカーで移動を開始しましょう。
1780mの角島大橋を渡ると北長門海岸国定公園の角島。蒼い海と白い砂浜、お食事処もあり、山陰の海の幸を味わえます。
下関ブルーラインをドライブ、美しい海を眺めながら下関へ
絶景の関門海峡を一望できます。
チェックインを済ませお部屋へ。落ち着いたお部屋で、おくつろぎいただけます。
お食事までの間、敷地内にある日清講和記念館や隣の赤間神宮を散策してから、浴衣に着替えてゆっくりとお風呂にお入りください。
関門海峡を眺めながらの「ふぐコース」は格別です。
春帆楼本店ならではの和膳と湯豆腐で一日の活力をつけます。
日本最大級のペンギン施設、世界各国の100種類以上のふぐやイルカとアシカのショーが人気です。水族館に隣接する遊園施設「はいからっと横丁」もあります。関門海峡を目の前にした観覧車からの眺望は迫力満点。
門司港レトロ地区を散策します。明治から大正にかけて作られた建物が今でも残っています。
B級グルメの「焼カレー」や瓦そば老舗の名物「瓦そば」をお楽しみください。ファミリーにはさらに九州鉄道記念館や海峡ドラマシップがおすすめです。
帰路(北九州空港、小倉駅へ)
下関の深い歴史を感じながら、春帆楼のおいしい料理で舌鼓。ちょっぴり贅沢な女子会はいかがですか?
日本最大級のペンギン施設、世界各国の100種類以上のふぐやイルカとアシカのショーが人気です。
下関ならではのグルメスポットで新鮮な海の幸を味わい、ショッピングもお楽しみいただけます。
おしゃれなカフェもあります。ゆっくりティータイムを楽しむこともおすすめです。
チェックインを済ませ、お部屋へ。落ち着いたお部屋で、おくつろぎいただけます。
お食事までの間、敷地内にある日清講和記念館や隣の赤間神宮を散策してから、浴衣に着替えてゆっくりとお風呂にお入りください。
関門海峡を眺めながらの「ふぐコース」は格別です。
春帆楼本店ならではの和膳と湯豆腐で一日の活力をつけます。
レンタカーで移動します。
壇ノ浦古戦場を目前に望む公園内には、源義経・平知盛両雄の像が立ち並び、幕末の長州砲もご覧いただけます
長府藩内はもとより山口県内でも屈指の湯治場として、賑わいを見せた川棚温泉。お食事は名物「瓦そば」をご堪能ください。
1780mの角島大橋を渡ると北長門海岸国定公園の角島。蒼い海と白い砂浜がお楽しみいただけます。
帰路(山口宇部空港へ)
春帆楼では安全・安心な商品(サービス)を心がけています。